1988/01
カウンセラー Bob Timmonsのアドバイスにより、バンドのメンバーそれぞれがドラッグ,
アルコール癖からのリハビリに取り組む。またVinceは1984年の交通事故の判決の一部である200時間の社会福祉活動を行う。
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1988/01
ペンシルバニア在住のMatthew John Trippe(マシュー・ジョン・トリップ)、「1983年のSHOUTアルバム制作中にNikkiが自動車事故を起こした時期からTHEATERアルバムの制作時まで、Nikkiの代理としてバンドで活動していたのは自分であり、その間の報酬を支払え」として、マネージメントとバンドを告訴。
この事件はイギリスのマスコミを発端に各メディアで物議を醸すが、その後1989年10月にMatthewは敗訴。この一件以来、Nikkiはニセモノ対策として全身にTattooを施すようになる。またNikkiはこの事件について"Say
Yeah"なる曲を書き上げる(当時は未発表であったが、後の1999年にリリースされたコンピレーション盤「SUPERSONIC
AND DEMONIC RELICS」に収録された)
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1988/04
Vince Neil、ガールフレンド Sharise Ruddell(シャリーズ・ルデル)と、自身2度目の結婚をする。
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1988/06/25
日本独自に企画された6曲入りミニ・アルバム「RAW
TRACKS (ロウ・トラックス」がリリースされる。収録内容は、1988当時のイギリス盤12インチ・シングル等に収録されていた、(日本国内)未発表テイクをまとめて収録したもの。
→ アルバム詳細
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1988/09
Nikki Sixx、Van Nuysの豪邸を売り払い、同じくリハビリ明けだったFASTER
PUSSYCATのベーシスト Eric Stacy(エリック・ステイシー)と同居を始める。Nikkiは2人でウダウダと生活しながらクラブに出かけるなどしていたが、永年のドラッグ中毒で女性への声のかけ方さえも忘れてしまっていた。
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1988/10
メンバーそれぞれのリハビリが完了しクリーンになったバンドは、手始めにTom
Cruise(トム・クルーズ)主演の映画「Cocktail」(カクテル)のサントラ用として、外部ライターMike
Henderson(マイク・ヘンダーソン)の書いた曲"Powerful
Stuff"のレコーディングを始める (が、プロデューサー
Tom Wermanとの意見の衝突などで完成に至らず)。
(※Mike Hendersonは、同曲がサントラに採用された時点で喜んだが(当時人気絶頂の俳優とバンドの組み合わせにより、大ヒット間違いなし!)、Motley
Crueが作業を放棄したためガックリ...ただし、同曲はその後テキサス出身のブルース・ロックバンド
THE FABULOUS THUNDERBIRDSにより改めてレコーディングされ、ヒットを記録した
(後にMike Hendersonは、「Motley Crueがレコーディングを取り止めたのはハネムーンに出かけたVinceが期限までに帰ってこなかったため」とも聞かされている))
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1988
Tommy Lee、アメリカのコメディアンSam Kinisonのシングル"Wild
Thing"のプロモーション・ビデオにゲスト出演。Rockミュージシャンと親交が深かったSamの同ビデオには、Tommyの他にSteven
Tyler, Joe Perry, Slash, Billy Idol, Steve
Vai, Dweezil Zappa, Richie Samboraなども同じくゲスト出演している。
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1988/11
5枚目のアルバムに向けた準備が始まるが、前作までのプロデューサー
Tom Wermanとの作業にマンネリ感を感じたバンドは、新しいプロデュサー探しを開始。
当初、Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)の「THRILLER」を手掛けたQuincy
Jones(クインシー・ジョーンズ)に打診したものの、忙しいとの理由によりボツ。最終的に当時
KINGDOM COMEの1stアルバムで大ヒットを飛ばしていた気鋭のプロデューサー
Bob Rockが新作のプロデュースを手掛けることになる。
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